井原陣屋
別名- | 付近住所 岡山県井原市井原町1113 | 現在 井原小学校 |
2009/9/12 | 碑・案内板・池田長発銅像アリ |
池田修理家 長信→ 友政→ 政応→ 豊常→ 政倫→ 長恵→ 長義→ 長喬→ 長溥→ 長発→ 長春 |
この地は、寛永19年(1642)より、幕末まで、旗本池田修理家の陣屋が置かれたところである。 10代目領主 池田筑後守長発略歴 幼名 孝七郎、後に英七郎、実幼名 経徳、 通称 修理、諱は長発、字は大禘、可軒と号する。 天保8年(1837) 江戸西窪で直参池田加賀守長休の第4子として誕生する。池田筑後守長溥の養子となる。 嘉永6年(1853) 17歳で、井原の10代目の領主となる。 長発は、昌平黌に学び、「気宇俊邁臨機明断の才ある神童」と呼ばれる。漢書和書・洋書を精読し、人間は万巻の書を読まねばならない。」を信条とする。 文久3年(1863) 27歳の若さで、外国奉行に抜擢され、遣欧使節正使に命ぜられる。 元治元年(1864) 3月、フランスに到着、パリにて、皇帝ナポレオン3世に謁見。2ヶ月にわたり、横浜鎖港問題等について、外交交渉にあたる。 帰国後、鎖国政策をやめ、開国の建議書を幕府に差し出し、蟄居を命ぜられる。 慶応3年(1867) 赦され、勝海舟とともに軍艦奉行となる。(31歳) 明治となり、新政府が成立する。長発は、養子の長春らと井原への帰住を決意する。「井原心学館」設立を企画し、心学館掲牌三則をつくる。 明治12年(1879) 岡山市古京町にて43歳の生涯をとじる。 法号 賢忠院殿簡翁可軒大居士 大正4年(1915) 正五位を贈られる。 |